「一地球人としての下山田吉成」のブログです。


by SIMON
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9.19 反原発デモ in 東京

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東京で行われた9.19「さよなら原発集会」とその後に行われた反原発パレードに参加してきました。

前夜に渋谷の東急ハンズで材料を購入し、当日の朝までに両面のプラカードをやっつけ仕事で仕上げました。

岡山から帰ってからずっと咳が止まらず、当日の朝は声がかすれてかなり出にくい状態でした。
易を立てたところ、かなり悪い卦が出て、どうも逮捕とかされそうな上、雨にも降られそうだったり、舌禍・人に騙されるというような大凶の内容だったので参加を躊躇しましたが、せっかくプラカードも作ったことだし反原発デモで逮捕なら話題作りに良いかも、どうせこのノドでは警官隊に「東電の犬!」とか叫ぶこともできないから舌禍⇒逮捕という可能性は薄いし、と意を決して神札を背負い昼過ぎに総武線で千駄ヶ谷に向かいました。

ひとつ手前の信濃町駅で「反原発イベントのために千駄ヶ谷駅付近は大混雑して動かない状態です。」というアナウンスがあったため仕方なく信濃町駅で下りました。

ホームを歩いていると、青いヘルメットをかぶって青い作業着の上下にフィッシング用のベストを着込み、分解した数本分の釣り竿を持った野性的な雰囲気を持つ初老の小柄な男性が私の持っているプラカードの包みを見て「デモにいくの?」と人なつこく話しかけてきたので、話をしてみたら彼もデモに行く途中ということですぐに打ち解け、会場の明治公園まで一緒に同道することになりました。

このおじさんはなかなかの飲兵衛のようで、缶酎ハイをたくさん持っていて、既に何本も飲んでいるらしく結構いい感じに出来上がっていました。

私は朝から何も食べていなかったのですが、何度もすすめられてレモンの缶酎ハイを飲んだら、アルコールよりも砂糖で気持ち悪くなってしまいました。
ビールなら良かったのですが、選択肢が缶酎ハイしか無かったのです。これが易卦の意味だったのでしょうか?

会場の明治公園はものすごい人で、たくさんの警察官が出動して参加者を整理誘導していました。
私服の刑事も参加者の中に相当紛れ込んでいそうです。

「もう中は一杯で入れません」と警官に言われたのですが、ヤマさんと名乗るそのおじさんが「こっちこっち」と言うので人ごみをかき分けながら後をついてゆくと、しばらくして会場の比較的空いている隅の方で彼の奥さんや仲間の方々と合流できました。その中には千葉県の長南町から来たというオジサンがいて、我が家がずっと飲料水を汲みに行っていた長南町の熊野権現の清水は、上に民家があるから汚染されていると言われちょっとガッカリしました。

例の釣り竿は組み立てられて、虹(F3C6.gif)色に染め抜かれた2つの旗を掲げる2本のポールになりました。

残念ながらオープニングの寿(ことぶき)のコンサートは既に終了しており、澤地久枝さんのスピーチが少しだけ聞こえました。

私はプラカードを持って土手の上に立って遠くのステージを横から見ていたのですが、私のすぐ近くでTVカメラに向かって話している男性がおり、何人かの集会参加者にインタビューもしていました。

やがてステージ上の催しが終わりかけた頃、その男性が私にインタビューを申し込んできたので、特に深く考えずに応じました。

そのインタビュアーは「イワカミです」と名乗り、短時間のインタビューと撮影は難なく終了しました。

会場は満杯で会場の外にも入りきれない人々がたくさんいました。

会場の中には緑の党や共産党などの政党や日蓮宗・浄土真宗・金光教などの宗教団体、各地の生協・農産物の生産者組合・漁業組合、数え切れないくらいたくさんの市民団体の旗が秋風にはためいていました。

後で約60000人が集まったと聞きましたが、安保闘争のデモを知らない世代の私にとって、社会運動でこんなにたくさんの人々が一同に会するのを見るのは生まれて初めてのことでした。

パレード(デモ)は全体を3つのコースに振り分けて行われたようでしたが、私は個人参加者が指定されたコースではなく、ヤマさんのグループ(おじさんとおばさんのサークル)に同行しました。

しかし、あまりの人数の多さに行進の列が渋滞して公園の外に出るまで1時間近くもかかりました。
放射能汚染に対する真剣な緊張感や、国や東京電力の理不尽さへの怒りが漂う中にも和やかさが感じられました。それが状況に対する無知から来るものなのか、日本人の徳性によるものなのかは私にはわかりませんでした。

私がたどったコースには全国の大学の中核派のセクトが割り振られており、私たちの前と後ろで元気な大学生のグループの男女が「原発反対・放射能いらねえ・東電解体・子供を守れ・ノーモア フクシマ・ノーモア ヒロシマ・ノーモア ナガサキ」などとアフリカン・ドラムのビートに合わせてずっとシュプレヒコールをしていました。

まるでお祭りみたい、いや、お祭りだったのです。

関東だけでなく全国各地の大学からもたくさんの学生たちが参加していました。

ヤマさんは私に何本も缶酎ハイをくれたので、途中のコンビニでお礼にビールを買って渡したら後からまたビールを買ってきてご馳走してくれました。

沿道で俳優の山本太郎さんが手を振って声援を送っていました。

アースデイなどのナチュラル系のイベントでいつもアフリカン・ドラムを叩いてワークショップをしている男性が、トーキング・ドラムを絶妙のリズムで鳴らしながら私の隣を歩いていました。あのリズムは何と語っていたのだろう?


日本語が達者な白人の男性とその息子の少年が同じコースにいたので話しかけてみたら、都内に住む私よりひとつ年下のニュージーランド人でした。
この男性は私も家族と何度か行ったことがある福島県川内村(福島第一原発から30km圏内で全村避難中)の獏原人村で、毎年夏に行われている満月祭にこれまで9回も参加していて、今年も250人くらいに激減した参加者の一人として滞在したそうです。

私は獏原人村で原始生活をしていたメンバーのうち、彼もよく知っている岡山県に避難している方と岡山市で行われた9.11のイベントでお会いしたばかりでした。

話しているうちに共通の友人や知人が10人位いることがわかりびっくりしました。しかも彼は私も知っている彼の友人の勧めで都内のデモクラティック・スクールに息子さんを体験入学させたことがあったのですが、私も娘を昨年同じ学校に体験入学させていたのです。

世界は広いけれどさまざまなご縁でいろんな場所やいろんな人とつながっていることを改めて感じると同時に、たくさんの共通項を持ちながら今まで一度も会わなかった人と生まれて初めて参加した60000人もいる反原発のデモで出会うとは、人生とは不思議なものです。


パレードは予定を大幅に延長して18:30頃に終了し、ヤマさんのグループの打ち上げに誘われたのですが体が保ちそうもなかったのでお断りし、日本人の仲間と合流したニュージーランド人父子とも別れた頃、もう20年も前に原発事故と地震の関係について学び、反原発運動の手ほどきを受けた水道橋の「たんぽぽ舎」と複数の団体の合同パレードがやってきたので、締めくくりのミーティングを端の方で見ていました。

熱心な若者たちが育っていて、経産省前にテントを張って座り込みをしたり、東電本社前で反原発の集会やデモを行ったり、活発に活動しているようでした。

東電の株主として、存命中の東電の取締役OBたちからも資産を没収して賠償金に充てるよう訴えをを起こす予定と言う方が、その噂を聞きつけた東電会長の勝俣が密かに資産を処分し始めていることを暴露していました。

9.11のパレードで不当逮捕されたフランス人男性の奥さんがスピーチし、「日本語をほとんど話せない夫が原発推進派のグループに日本語で挑発的発言をしたという調書を警察はでっち上げた。日本の警察はデタラメ」と憤慨していました。

フランス人のご主人は釈放されましたが、あの日に逮捕された12人のうち、まだ5人が拘留されているそうです。

私は久しぶりに事務局の柳田さんに会って挨拶をしてから帰路につきました。

全く食べずに缶酎ハイとビールだけで、大きな看板を掲げながらほぼ6時間歩いているか立っているかで、かなり疲れましたが、楽しい1日でした。

私の作ったプラカードは思いのほか人目を引いたらしく、たくさんの方々がカメラやビデオで撮影してくれました。

明治公園で私にインタビューした男性はジャーナリストの岩上安身氏で、Ustreamの中継を見た患者さんから「ネットライブで見た」とメールをいただきました。

たくさんのインタビュー映像に埋もれているようですが、よかったら探してみて下さい。

http://www.ustream.tv/discovery/live/all?q=iwj%20tokyo

長くなりましたが、これが私の9.19のおおよそのあらましです。


彌榮



下山田吉成
by asiakatasumi11 | 2011-09-21 01:47