「一地球人としての下山田吉成」のブログです。


by SIMON
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蠅取り紙

年配の良識ある方々が細川氏を推した情緒的理由には共感できるものがある。しかし先輩方の純情を弄ぶ腹黒い意図が細川氏を担ぎ出した周囲に見え隠れしている。公家の血を引く殿様が純真だという保証はないし、サンカと半島の血が流れる小泉氏はその言葉とは裏腹に、ヒノモトの破壊者としての役柄を全うしようとしているようにも見える。

東京都知事選挙を振り返れば、宇都宮氏と細川・小泉連合の擁立は、脱原発派をあぶり出して分裂させるために巧妙に張り巡らされた蠅取り紙だったことが明白にわかる。

体制側からすれば、マスコミの情報操作と印象操作を通して、東京屠民の愚民度を測るリサーチでもあったと思う。この結果を見て家畜化が順調に進んでいることを確認してほくそ笑んでいるはず。

茶番選挙や劇場政治への盲信は、プロレスが真剣勝負だと思い込み、プロレスラー同士の抗争を本気でやっていると信じて熱狂する愚かさに通じる。

プロレスと何ら変わらない茶番劇の選挙に基づくインチキな劇場政治の正体を見抜いたなら、すみやかにそこから離れよう。誰が当選したところで、私たち一人一人が目覚めて行動を起こさない限り世の中が良くなることはないのだから。
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by asiakatasumi11 | 2014-02-11 09:18 | 議会政治の終焉 もう政治家はいらない

東京都知事選挙


東京都知事選挙は極右の元幕僚長、左翼弁護士、元首相の公家、元厚労相にして女性蔑視のサディストのバトルロイヤル。場外乱闘や大物セコンドの乱入などもあって、エンターテイメントとしてはとても楽しめる茶番劇だった。やらせだとわかっていても選挙はプロレスを観るように楽しむのが良い。

選挙はプロレスと同じ筋書きのあるドラマ。キャスティングとシナリオが良ければ感動することもある。でもそれは本質的に虚構であるがゆえに、選挙の結果によって真の社会変革がもたらされることはない。国家や組織や指導者によらない、各個人の自発的かつ主体的な内的革命だけが世界を変容させる。

選挙では誰が当選しても原子力村には不利にならないようになっているので、誰に入れても最終的な結果は一緒だ。選挙や議会制民主主義によらない、暴力や武力行使を伴わない社会変革が必要である。それは社会構成員である一人一人の人間が深いレベルで覚醒することである。
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by asiakatasumi11 | 2014-02-09 01:23

都知事選は劇場である

今回の東京都知事選挙は、近年まれに見るユニークなキャスティングと巧みなシナリオによって、かなり面白おかしい選挙戦を展開しています。

おそらく国家的プロジェクトとして莫大な機密費を投入し、ドラマチックな選挙戦を演出しているのでしょう。

私は元東京都民の一人として、彼ら愛すべき笑える傀儡候補者全員を応援しています。

国会議員選挙も都知事選挙も、筋書きのあるドラマであることは、これまでたくさんの選挙を観察してきた結果から間違いありません。

アントニオ猪木がハルクホーガンのアックスボンバーで失神KOされた場面も、今になって冷静に見ると良くできた格闘技ドラマのクライマックスシーンであることがわかります。

選挙はプロレスとよく似ています。

彼らは地方巡業の際は同じ大型バスに乗って会場入りし、リングでは文字通り血みどろの抗争を繰り広げますが、プライベートで仲が悪いわけではなく全て筋書き通りの役柄を演じているに過ぎないのです。

私は全ての都知事選立候補者を、役者として応援してはいますが、政治的には誰も支持しません。

議会制民主主義も選挙制度もインチキな茶番劇だと認識しているからです。

不正選挙であろうとなかろうと、誰が当選しようとも、核マフィアにとって決して不利にはならないように出来ている劇場政治のからくりに気づかないと、愚民だと侮られて家畜並みの扱いがひどくなるばかりです。

体制のやり口は、社会的問題の最終的な解決手段は「政治」であり、政治を良くするには「選挙」しかないと私たちに思い込ませることです。

私は元東京都民の一人として、首都の衰退と滅亡を遥か吉備の地から見守っています。

とどまるところを知らない人間のエゴと救いようのない愚かさが非常に美しい、そしてとてつもなく醜い、ハリウッド映画など足元にも及ばない壮大な一大スペクタクルが現在進行中です。

誰が勝っても早晩「穢土(えど)終焉」「東京廃都」という結論に変わりはないでしょう。

自分であろうと誰かであろうと、何かを「信じる」という行為は、信じた対象にだまされ奴隷にされることを意味します。

賢明で洞察力がある人は、何も信じる必要がないことを知っています。

大切なのはあるがままの事実を「理解する」ことであって、(ありもしない)あるべき何かを「信じる」ことではないからです。
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by asiakatasumi11 | 2014-02-06 19:59