「一地球人としての下山田吉成」のブログです。


by SIMON
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朋友への手紙(クリシュナムルティ風)

あなたからの手紙を興味深く読ませていただきました。


これから申し上げることは、あなたやあなたが崇拝するものを否定する内容を含んでいるかもしれませんが、私は自分の心に正直に書きたいと思います。


依存のあるところには必ず恐怖があり、恐怖のあるところには必ず無知があります。

何を信じればよいか?
私は何も信じていません。
あらゆるものを深く疑っています。
東京電力、経産省、核マフィアとその手先である日本政府、これら反生命的金権主義を支えてきた教育界と宗教界……。そしてそれらにマインドコントロールされてきた自分自身の知覚を。


もし真実を発見したいのであれば、私たちはあらゆるものを一瞬一瞬感受し理解しなければなりません。

フクシマの惨事によって学校教科書には真実が書かれていないことが如実に証明されました。
教科書の内容を書いている人間や検閲をしている人間たちのほとんどは、不実な嘘つきでした。
教科書には「原発は安全で安価でクリーンな未来のエネルギー」と書かれていました。

既成の宗教界にも真実がないことがはっきりしました。この利権業界は日本国民だけで約310万人もの戦没者を出した大東亜戦争において、戦争に反対するどころか帝国の支配下で国民を戦争に駆り立てるプロパガンダを行い、ご丁寧に戦勝祈願などもやっていた翼賛業界だったわけですが、戦後は自然や生命を破壊する原子力産業に対して何の異も唱えてきませんでした。原発事故後に脱原発を提唱する宗教団体の少なさには驚かされます。

信仰は無知と恐怖と順応が生み出す根深い疾病です。
真に宗教的であるとは真実に対して鋭敏であることです。

私は神仏を否定しているのではありません。真の実在を知らない人だけが「神」「仏」「真理」「永遠」「宇宙の中心の一点」などという言葉を弄んで自分と他者を洗脳しているのです。

「知る者は言わず、言う者は知らず」
という警句があります。
「私は知っている」という人間がいたら用心して下さい。

たかだか100年しか生きられない人間の自我に「永遠」を理解するポテンシャルはありません。もしあるとすれば、自我が勝手に作り出した「永遠」という妄想です。
ましてや永遠に変わらないものなどどこにも存在しません。

もし永遠に変わらないものがあるとすれば、それは真理ではありません。
真理は流れる河の水のようなものです。「永遠に変わらない真理」は真理の河から過去に汲み上げられた古い水であり、既に腐敗しています。

永遠なるもの、無限なる実在を正確に表す言葉は存在しません。
なぜなら言葉は有限である思考の産物だからです。


信仰とは真理の否定であり、真理の理解を妨げるものです。

神仏を信じることと神仏を発見することは全く違います。

信じている人も信じていない人も決して神仏を発見することはないでしょう。

なぜなら、神仏や真理は未知のものであるからです。
未知のものに対する信仰や不信は、単に自分自身の欲望と恐怖の投影に過ぎません。

信仰は必ず人間を分離させるものです。
キリスト教徒・イスラム教徒・ヒンズー教徒・仏教徒・神道教徒・共産主義者・資本主義者・社会主義者・無神論者……そして各々が無数のセクトに分裂しています。
信仰や信念は決して人間同士を友愛で結びつけることはありません。

あなたが所属する教団や思想的集団や宗教的グループは、他の教団や思想的集団や宗教的グループと仲良くしているでしょうか?………………………答えるまでもなく信仰は人々を引き裂いています。

故に信仰は分離的・分裂的・破壊的であって、少しも平和的でなく、実際には世界中に争いと不和の種をまるで放射能のように拡散しているのです。

意志的行為や鍛錬や修行の結果として養成された精神は、自己の欲望を投影した陰影を見つけるだけで、神仏を発見することはありません。

「神仏」は精神が特定のパターンやルールに従って鍛錬されている時ではなく、努力を伴わない静けさが存在する時、精神が「神仏」や「真理」や「宇宙の中心の一点」を忘れ去って完全に静かになっている時にのみ出現するのです。
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by asiakatasumi11 | 2012-02-26 01:01 | 病の原因 病=信念=固定観念=偏見=執着